1996年、浜松の片隅で決めた「机上で終わらせない」という約束
1996年11月1日、バブル崩壊の余韻が残る浜松の一角で、シーポイントは本当に小さなスタートを切りました。立派なオフィスも資本もないけれど、「インターネットで地方と世界が直接つながる時代が来る」と信じてしまった人間が、私です。東京へ出る選択肢もありましたが、あえて浜松を拠点にしたのは、「地方だから仕方ない」とあきらめる空気をひっくり返したかったから。最初の仕事は、街の商店や学校、NPOのホームページづくり。徹夜でコードを書きながら、「きれいな画面を作るだけじゃなく、生活の一部になる仕組みにしよう」と自分に言い聞かせていました。あの日の小さな決意が、「良いミライの当たり前を、つくる」という今のタグラインにつながっています。
ブログ、沖縄、ベトナム、カカオ…振り返ると全部「現場」から始まった
この30年をざっくり振り返ると、いつも時代の端っこで「まずやってみる」を繰り返してきました。地域ブログポータルを立ち上げ、街の人たちに情報発信の場をつくったり、沖縄に拠点を構えて観光・教育プロジェクトを動かしたり。さらに踏み出して、ベトナム・バリア=ブンタウではオーガニックカカオ農園とチョコレート事業、ロボット・プログラミング教室まで手がけるようになりました。一見バラバラですが、根っこはすべて同じです。「目の前の人の課題をちゃんと聞き、テクノロジーで日常を一歩良くする」。クラウドもスマホもSNSも、次々と主役が変わる中で、私たちが手放さなかったのは、机の上の企画よりも、畑の土、工場の音、子どもたちの笑い声といった“現場の温度”でした。
AIが当たり前になった今こそ、「泥くささ」と「人の温度」が武器になる
2026年を迎える今、生成AIは文章もコードも、驚くほどのスピードで生み出すようになりました。正直に言えば、私自身「これ、人間の出番はどこに残るんだろう」と考え込んだ時期もあります。でも、ベトナムのカカオ畑で農家さんと汗をかきながら話し、工場のラインでセンサーが誤作動する瞬間を一緒に見ていると、AIだけでは届かない領域がはっきり見えてきます。RAGで社内検索を賢くしたり、ロボットとクラウドをつないだりすること自体は、いずれ誰でもできるようになるでしょう。そこから一歩先、「この町の、この職場の、この人にとって本当に意味のある仕組みにする」には、現地に足を運び、失敗も引き受けながら実装し切る胆力が要ります。30年かけて磨いてきたのは、最新技術の知識だけでなく、その泥くささと、人と腹を割って向き合う温度だと感じています。
次の30年を一緒に編んでいく“第2創業メンバー”へ
私も60代になり、ふと「あと何回、新しい10年計画を描けるだろう」と思うことがあります。だからこそ今、私がやりたいのは、自分のコピーを増やすことではありません。浜松とベトナムに築いてきた拠点、仲間、仕組み、そして山ほどの失敗と小さな成功。それら全部を土台として使い倒し、AI時代の新しい社会実装に挑む人たちにバトンを渡したいのです。「地方から世界へ」は、もうスローガンではなく現実にできる時代になりました。あとは、やってみる人がいるかどうかだけ。テクノロジーも、農業も、教育も、国境も、自分の関心の幅ごと仕事にしていきたい人にとって、シーポイントの30年は、きっとおもしろい“踏み台”になるはずです。


